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前回の代表的なカビとマイコトキシンの症状では、マイコトキシンについて見ました。今回は重金属による健康障害を事件とともに見ていきたいと思います。事件はおそらく小学校や中学校の社会や国語?などで学習したことがあると思います。
過去に事件となった重金属の代表例には以下のようなものがあります。
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ヒ素ミルク事件が起こり、食品添加物や食品の安全性に関わる大事件でした。この事件がきっかけとなり食品添加物公定書が作られました。
1955年、森永の粉ミルクに製造工程で触媒として用いた亜ヒ酸が混ざってしまいました。そしてこの粉ミルクを飲んだ多くの乳幼児に死亡者や被害者が出てしまいました。症状は、脳性麻痺、知的発達障害、てんかんなどの症状でした。
この事件をきっかけに、食品への安全性が問われて食品添加物公定書が作られました。食品添加物公定書とは、食品添加物の成分の規格や製造基準、品質確保の方法などを定めたものです。
カドミウムが神通川に排出され、水田を汚染しました。汚染水が使われて育った農作物を知らずに摂取してしまい、イタイイタイ病が起こりました。
1955年、岐阜県にある三井金属工業神岡事業所が廃水していた水にカドミウムが含まれていました。この廃水は神通川という川に流れ込み、下流の水田にも流れ込んでしまいました。カドミウムが含まれた水が米や野菜などに蓄積されてしまい、それを摂取してしまうことでイタイイタイ病が起こりました。
症状としては腎障害が起こりカルシウムの再吸収の障害、筋力の低下などが起こります。病名にもあるように患者が「痛い痛い」と泣き叫び、わずかな力で骨折してしまったそうです。
メチル水銀が水俣湾に排出され、生体濃縮された魚介類を知らずに摂取してしまいました。その結果水俣病が起きてしまいました。
1956年、熊本県水俣市にあるチッソ水俣工場はアセトアルデヒドなどを作っていました。このアセトアルデヒドを作る際に使っていた触媒にメチル水銀が含まれていました。メチル水銀を含む排水を無処理で水俣湾に流していたため、水俣湾の魚介類で生体濃縮が起こりました。メチル水銀が生体濃縮してしまった魚介類をさらに人が食べてしまい水俣病が起こりました。
症状は四肢の感覚障害、運動失調、聴力障碍、言語障害などをはじめとする中枢神経障害で、有機水銀を使う労働者に見られた中毒症状と一致することが多いためハンター・ラッセル症候群とも呼ばれました。
なおメチル水銀は胎盤への移行性も高く、妊婦が摂取した場合胎児にも同様な症状を持つ子供が産まれることがありました。
メチル水銀に関わる事件は水俣病だけでなく、第二水俣病と呼ばれる事件も起きています。こちらは1965年に新潟県で起こりました。
ポリ塩化ビフェニルが誤って米ぬか油に混入してしまい、さらに過熱されダイオキシン類となってしまいました。それを知らずに摂取してしまいカネミ油症が起こりました。カネミ油症をきっかけに、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)が作られました。
1968年、北九州市のカネミ倉庫が作った米ぬか油に、脱臭のために使うPCB(ポリ塩化ビフェニル)が改修工事ミスで混入してしまいました。PCBが混ざった米ぬか油は加熱され、ダイオキシン類となってしまいました。その米ぬか油を摂取してしまったことによりカネミ油症が起こりました。
症状としては皮膚などへの色素沈着、塩素ざ瘡などでした。
カネミ油症をきっかけに化学物質への安全性への問いかけが起こり、化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法)が作られました。化審法とは、新規化学物質を製造又は輸入を行うにあたって、人への有害などについて事前に審査するとともに、環境を経由して人の健康を損なうおそれがある化学物質の製造、輸入および使用を規制するものです。